島根県大田市 芦澤高彦さん体験レポート |
|||
![]() |
|||
| 釣りと海、そして自然への思いから、長年勤めた東京の会計事務所を辞めて小型底引き網の漁師へと転身。仕事に就いてまだ日は浅いが、船の上での経験に多くの感動を得ている。港の活性化に向けた視点も持ち、漁協からの評価も高い。 | |||
魚に魅了された日 |
|||
![]() 芦澤さんは専門学校を卒業して、東京の会計事務所に就職。ここに丸十二年ほど勤務し、自称、「ペンより重いものは持ったことがない(笑)」生活を送ってきた。 「でもやっぱり東京は苦手。自然がいい」。そんな気持ちから会計事務所を辞め、「“オカ”以外での仕事探しとバイト生活」へと移った。釣りが好きで、会計事務所時代も毎週末には伊豆へ行く生活。いつしか、海に関わって仕事をしていきたい思いが強まっていったのが、そうした行動に走らせる力となった。 「漁師になったのは、好きな釣りに近いと思ったから。甘い考えで選びました」と笑うが、内心は本当に自分に合った仕事を求めたいと必死に考えた末のことだ。その証拠に彼は、JF全漁連への問い合わせとは別に、自分の足で伊豆の漁協を何ヵ所もまわり、漁師を募集しているかどうかを聞いて歩いた。また、インターネットでも人を募集している港を探しては電話をかけ、例え小さな望みでも必死に食らいついた。 「伊豆では話を聞いてくれるところ、門前払い、『そんな話をされても困る』と言われたこともありました。インターネットで募集しているところを見つけると、古い情報でも電話で問い合わせてみました。あまり寒くない地域という以外には場所を選ばずです」。しかし、どこも「雇う余裕はないとか、人を減らしているといった返事ばかり」。脈はないかに思えた。 それでも東京のJF全漁連に行って問い合わせたり、漁師関係のイベントに参加するなど、決してあきらめなかった。 そうした活動の中にインターネットで見つけた島根県漁連があった。過去の断り続けられた経緯から「ここも期待はしていなかった」が、履歴書を送り返事を待つことにした。「そしたら1週間くらいで返事があって」。大田市漁業協同組合(JF大田市)と連絡を取ることがかない、面接が認められた。今までにない可能性の大きさに、芦澤さんの心は期待に躍った。 出雲空港へ降り立つと、漁業関係者が車で向かえに来てくれていた。期待は膨らむばかりだ。そしてJF大田市の関係者に会い、翌日には網仕事を体験させてもらっていた。夕方には漁を終え、魚を積んだ船が帰ってくる。「目の前に魚が並んでいるところを見て、ここでやってみたいなと思いました」。魚に魅了された。 芦澤さんはその数日後には、船長の家に下宿しながらの正式な実習に入るため、再び大田を訪れる。荷物といえば衣類くらいのものだった。 |
|||
1つひとつ、漁師に向かって前向きに仕事を憶える |
|||
![]() 「タテ揺れ、ヨコ揺れ。もうそれはジェットコースターみたいなものですよ」。日本海の波は鋭く尖っているという。幸い、船酔いはなかったが、波が荒い日は船底にへばりついているのがやっとのこともある。しかも最初は何をやって良いか分からない中での、とにかく肉体的にきつい作業、全く分からない言葉、大きな怒鳴り声…。そんなことで、辞めていくIターン者も少なくはない。 しかし芦澤さんは違った。口数は少ないが、見よう見まねで先輩の動きを必死に覚えていった。小型底引き網は、現場で網を投げ入れ、船でそれを引きながら魚を捕っていく漁法だ。JF大田市の場合、10トンから15トン船1隻に5-6人が乗り込んで作業する。船は常に動き、網を引いている間も機械のチェックや補修を行い、頃合を見計らって乗組員が協力して網を丁寧に引き上げていく。捕れた魚は、船の上で箱に仕分され、港のセリに間に合うように夕方には帰港する。 「最初にやれた仕事らしい仕事といえば、魚を選別する人に捕れた魚をすくって渡すこと。その次が氷を発泡スチロールの箱に入れることでした。魚によって氷の量が違ったりして、それはそれで難しさがあるんです」。箱への仕分作業は、魚を鮮度を保つための非常に重要な仕事だ。漁協によれば、そうした持ち場が初心者が自然にやれる仕事なのだと話す。 言われた仕事を着実に覚えていくのとは別に、芦澤さん自身の判断で、船上で網を巻き上げている左右の先輩の間に入って、きれいに網が巻き上げられるように調整するなど、できる限り先輩漁師の力になろうと意識し、そのための努力を惜しまなかった。そんな彼の姿勢は次第に好感を生み、周囲から「ああいう奴ならうちの船に来てもらいな」などという声も上がってきたという。周囲の評価と並行するように、当初はやらせてもらえなかった綱の船上での整理も任されるようになるなど、着実に船上での出番も増えている。 「一番辛いことですか?それは朝ですね」。何と言っても早い。午前2時とか2時半には港に行き、船が出る時間はその日の海の状態によって決まるので、出港が遅れる時は船で寝ていることもしばしば。「寝てろって言われても、隣の船はエンジンがかかっていればうるさいし、揺れもありますし」と、さすがに慣れるにはまだ時間がかかりそうな様子だ。 「そりゃ仕事がうまくいかずストレスが溜まることだってあります。でもあるとき、船の上からふと海を見やったら、遠くに虹が出ていたんです。うまく言い表せませんが、その光景がとにかくすごかった。それは漁師でなければとても味わえないと思える感動でした」。 感動はまだあった。「船の上で捕れたての魚を食う。その美味さは格別だ。魚は1日経った方が美味くなるなんて言いますが、あれ、うそです。こっちで初めて食べたノドグロ(アカムツ)の刺身と言ったら、マグロの中トロなんか比較にならないですよ!」。 仕事の面では、これまでのサラリーマン生活と比べ「達成感(満足感)がぜんぜん違う」ようだ。「魚が捕れれば楽しいし、何と言っても毎日が勝負」。夕方には、他の船も続々と港に帰ってきて、競り会場では捕れた魚をお互いに見比べ合う。まさに勝負の結果が毎日出される。今日は頑張ったと胸を晴れる日もあれば、明日は頑張ろうと気持ちを入れかえる日もある。そして休日は、近くの温泉に行ったり、自然を散策したり、昼ねをしたり。釣りはしなくなったが、そんな日々が好きなのだという。 |
|||
仲間と先輩漁師 |
|||
![]() JF大田市には現在、芦澤さんのようなIターン者が10人ほど働いている。芦澤さんより少し後輩にあたる吉田英夫さん(36)は、サラリーマンのほかに自衛隊員なども経験してきたつわものだ。吉田さんも芦澤さん同様に頑張り屋で、「うまい魚が食べられ、たくさん捕れたら給料も多くもらえる。分かりやすくていい」など、大田での漁が好きな点も一致している。 ただ、2人には仕事の覚え方にちょっとした違いがある。芦澤さんが黙々と見て覚えるタイプとすれば、吉田さんは何でも声に出して聞く。ここには、2人の性格もあるが、船長や先輩漁師のIターン者に対する対処の違いもあるようだ。どちらにせよ、2人はそれぞれのやり方で前向きに仕事に取り組み、周囲から評価される存在へと成長しつつある。 20年以上この漁一筋に生きる先輩漁師、米田博泰さん(41)は日ごろの彼らの働きぶりに次のように話してくれた。 「我々について行こうという意欲は半端じゃなく、本当に驚いた。長年漁師をやっている我々だって、しんどいところを見せるときがあるのに、疲れをみせない男の意地みたいなものを感心させられる。地元にこういう若者がいなくなったのは残念だ。彼らを本当に仲間にしたいし、骨を埋めるくらいの気持ちでずっといて欲しい」。 Iターンで漁業に就いた若者が辞めていく理由の1つには、同じ船に乗る先輩漁師などとの人間関係がある。「でも、そんなのはどこにでもあること。どこへ行っても同じことを言うんじゃないでしょうか」と2人は口をそろえる。吉田さんは、それに付け加えるように、「今までいろんな仕事を経験してきましたが、漁師が一番いいかも知れない」とさへ感じている。 「先輩がきちんと教えてくれないなどと言うのも言い訳。要は本人に覚える気があるかどうかでしょう」と芦澤さんはきっぱり言い切る。彼の目標は、早くひと通りの仕事を覚えることだ。それを自分で覚え学びたいという強い意思が伝わってくる。 先輩の米田さんは言う。「漁の仕事に、これで終わりというのはない。わしらも日々勉強して、いかに漁獲高を上げるかに挑んでいるんです」。漁の相手は、常に人間の予想を超えた大自然だ。こうすれば最高の漁獲高になるという世界は存在せず、教えられることも限られている。そんな先輩の生き様を見て、彼らそれぞれの挑戦も続く。 |
|||
新しいアイデアも芽生える |
|||
一生懸命、前向きに働く姿に感動しない人間はいない。それがどんな素人で、どんな不器用であってもだ。2人に対する周囲からの評価が高いのは、そうした理由によるものだ。芦澤さんの前向きな姿勢は今、漁業の発展につなげたいとの新しい考えへとつながってきている。「皆で努力して、苦労して捕った魚が、本当に安い値段で売られていくんです」。彼は首都圏生活が長いだけに、その値段のギャップには驚くべきものがあった。漁協でも現在、産直の取り組みを進めているが、芦澤さんは「自分の船の名前で産直をやれたら本当にいい」と目を輝かせる。 確かに、東京、大阪、名古屋などの大消費地の消費者にとって、船のブランドによる産直は新鮮かも知れない。新しい視点が、港に新しい可能性を芽生えさせようとしている。 |
|||
大田市漁業協同組合参事 浜崎和信さんの話 |
|||
![]() この10年、漁師が不足しても地元から調達できなくなり、平成10年から漁協としてIターン者の募集を始めました。当初は、誰でも構わず船に乗せたのですが、辞めていく人間が後を絶たない。そこで今は、「海を知るだけで3年、風と波、どこに魚がいるかが分かるまでに3年など、独立して自分の船を持とうというところまで考えるなら7-10年は覚悟しなさい」などと漁師の厳しさをとことん説明しています。それでもいいなら、まずは研修の位置付けで、例えば船長の家に住み込みながら、船長とIターン者がお互いを理解し、実際の仕事の良さや厳しさも理解していく形に変え、Iターン者が定着するようになってきたと言えます。 制度的にも、半年は試用期間として固定給を払い、その後、それぞれの船で正式採用され、努力が給料に直接跳ね返ってくる世界になっていきます。住居はこちらで用意し、定住補助もあります。また、私個人的にもIターン者、その家族を含めいろいろな相談に乗っています。厳しい面ももちろんありますが、漁には良い面もたくさんありますので、そこにもきちんと目を向けて欲しいですね。 漁獲高が減っていく中、雇用の数と質の確保は難しい問題ではあります。漁協としては、人手はあまり増やせない状況であることは事実です。現在は、漁の担い手育成のほかに、産直への取り組みに力を入れており、新規の流通開拓なども進めています。Iターン者にはその力、発想にも期待しています。彼らの力と新鮮なアイデアなどが、ここの発展につながれば嬉しいですね。 |
|||
ここで働く |
|||
大田市は島根県のほぼ中央部に位置し、北東から南西に伸びる海岸線23kmを表玄関に平坦部から山間部へ奥深い行政区域を持ち、海、山、清流など豊かな自然と景勝地に恵まれた場所です。総人口は3万4,000人ほどで、1次産業では農業とともに漁業が発達し、なかでも小型底引き網漁は、この地域の主力漁業です。ヒラメ、タイ、カレイ、アカムツなどの高級魚が上がり、全国へ出荷されていきます。過去、Iターン者受け入れにも前向きに取り組んできた経緯があり、現在、妻帯者から単身者まで幅広い層のIターン者が活躍しています。 |
|||
| ・・・・・漁師になるまでのプロセス・・・・・ | |||
|
|||