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新人漁師へのインタビュー

新人漁師へのインタビュー

深津 利光さん

会社生活のストレスから解放。
憧れの漁師生活は、充実と厳しさの両面あり。

2年前まで東京で会社勤めをしていた深津利光さん(44)は、長崎県五島市で漁師としてひとり立ちして2年目。漁の幅を広げるための勉強をしながら毎日を過ごしている。サラリーマン生活に終止符を打ち、念願かなって幼い頃から憧れだった漁師になることができて生活は充実しているというが、同時に漁師として生きていくことの厳しさも実感している。(※2009年12月時点)

漁師を目指しての水産大への進学と漁連への就職

深津利光さん。漁業就業支援制度は年々少しずつ改善されているので、自分も次の人のために力になりたいと話す。

深津さんは、東京都江戸川区の出身で、漁師になる前は東京の釣具メーカーに勤務していた。

「幼稚園の時から、親戚のおじさんに連れられて海へ行き、釣りをしていました。海も釣りも大好きで、その頃から漠然と漁師の仕事をしたいと思ったりもしていました。だから、水産大学へ進みましたが、家の事情もあって卒業後すぐに漁師になるという訳にはいきませんでした。ただ、漁師への思いを持ち続けていましたから、それにつながる仕事ということで、神奈川県漁業協同組合連合会で働くようになりました」

サラリーマン生活のなかで心に抱き続けていた漁師への思い

深津さんが利用している船の名前は「光好丸」。深津さんと母の名前から1字ずつ取り、「親孝行」という意味もかけて師匠が名付けた。

水産大、漁連と、夢である漁師への道を着実に進んでいたように見える深津さん。

「漁連には3年間いました。漁師になる近道と考えていたからですが、初期コストが想像以上に大きくて普通のサラリーマンをしながらそのお金を貯めるのはなかなか難しいということがわかりました。父親が病気ということもあって、実家を離れられない事情もありました。その後、釣具メーカーに転職して16年間勤め、自分で釣具メーカーを起業しようと退職して準備を始めました。ちょうどその時知ったのが、漁業就業支援制度です」

「釣具業界の中には、漁師になった人も何人かいて、以前からうわさは耳にしていました。漁業就業支援フェアに参加し、五島の募集を知りました。それまで五島に行ったことはありませんでしたが、大学時代に五島出身の知人がいましたし、九州あたりの海は親しみがありました。」

すんなりと馴染むことができた五島での生活

漁に出られないときは、自宅で仕掛けを作っているという。

無事応募が受け入れられ、五島での研修が始まった深津さん。42歳のときである。水産大学出身で釣りや海の経験も豊富だったため、それほど辛いことはなかったという。

「船に乗ること自体まったく抵抗はありませんでした。大学の頃から東シナ海の荒波は何度も経験していました。この1年間の研修中には、師匠や先輩たちからさまざまなことを学びました。太刀魚(タチウオ)の引き縄漁やシビ漁。他にも蛸(タコ)壺や団扇海老(ウチワエビ)などの漁を教えてもらいました。研修期間中は、本当に楽しかったという思いしかありません。周りの人たちも優しくて、気軽に声をかけてくれました。家の前に野菜を置いていってもらったこともあります」

1年の研修を終えた現在は、漁協からリースを受けている船に乗って1人で漁を行っている。漁場が近いときは、朝の4時から5時頃に漁へ出る。漁場が遠い時は朝の2時や3時に出る。漁協の箱詰めに間に合わせるために、夕方4時半には帰着する。

「研修中は、修行ということで長崎まで出て、あちらの港に水揚げしていたこともあります。船で数日過ごすこともありますが、キャンプをやっているような感じですね。かつて車で山奥まで行って、キャンプを張って寝泊まりしながら釣りをしたこともありますが、車が船に変わった感じです。海が荒れて漁に出られない時は、ゆっくり二度寝します。といっても、今はまだ余裕がないので、そういう日は部屋で仕掛けを作っています。船を整備することもあります」

漁師として生きるために重要な周囲とのつながり

周りの人との協調が取れない人間は漁師にはなれないし、地元を無視してはやっていけないと漁師の心得を話す。

深津さんは、漁連で働いていた頃の経験から、他の土地から漁師になろうとその土地に入って来る難しさを知っていた。だからこそ、師匠の下で1年間研修するという就業支援のシステムを高く評価している。

「漁師仲間は酒好きが多いので、皆で集まって飲む機会がけっこうあります。他の漁場の漁師さんが集まるので、情報交換の場として役立ちます。そんな時に、まったく知らない人でも師匠を通して接してもらえて、すんなり輪に入れます。そのおかげで交友関係もずいぶん広がりました。漁連で働いていた頃に、地元に溶け込むことの難しさや壁があることを強く感じていました。神奈川の漁協でさえそうなので、地方であればなおさら。私の場合は、師匠の弟子として入っていけたのでうまく溶け込むことができました。これは就業支援制度のいいところであり、とても重要な点だと思います」

「師匠に言われたのが、『漁師はひとりではできないぞ』という言葉です。何かあった時に助けてくれるのは、師匠であり仲間の漁師たち。沖に出てのトラブルは、時には人命にもかかわることもあります。そんな場合に他の漁師仲間の存在は大切です」

船や漁具の購入費用を想定した資金の用意は必須

深津さんの船には、魚を引き寄せるための集魚灯など、さまざまな装備が付いている。漁師を引退する人からまとめて譲ってもらったという。

念願の漁師となった今、これまでの苦労やこれからの不安はないか尋ねてみると、真っ先に返ってきたのはお金のこと。漁師として独立してやっていくには、自分の船を持つことが前提になるが、その購入費用を捻出するのが思いのほか大変だったという。

「漁師になる前から、それなりにおカネがかかることは知ってしました。それでも、こういう制度があるくらいだから、まったく食べていけないこともないだろうという楽観的な気持ちもありました。最初に船以外の漁具などにかかる出費が想像以上にありました。私の場合は、道具をそろえるおカネがなかったので一本釣りを選びましたが、それでもそれなりの出費がありました。」

「支援制度で私の時は月15万円(現在は12万円)の支給がありますから、1年間の生活費はそれで何とかなります。五島なら生活におカネはかかりませんし、年300万円あれば十分食べていけます。しかしやはり問題なのは船や漁具です。もしこれから漁師を目指すのなら、少なくとも500万円くらい、可能なら1000万円くらいの貯えはないと、続けていくのは厳しいかもしれません。」

深津さんは、所属する五島ふくえ漁協が県、市の支援を受け整備した船を借り受けている。リース料の負担は大きいものの、それを考えなければ十分生活していける収支ではあるという。

「私がリースを受けている船は中古で1000万円くらいしました。最初から装備がそろっていないと使い物にならないので、そういう船を探しました。船は値段も形もさまざまですが、多様な漁に対応するには最初からいろいろできるものを買う必要があります。いろいろな漁ができる方が稼げるので、重要なポイントです。途中から装備を増やしていくのはかえっておカネもかかるし難しいのです。」

「調子が悪くなれば修理も必要ですし、メンテナンス等に多額の費用がかかります。そういう余裕のない状態に加えて、漁の不調も重なるとさらに苦しい。そういう不安定なところも考慮しておかないといけないでしょう。これから漁師になりたいなら、資金面でも長期的な計画をきちんと立てていく必要があります。」

大自然の中で開放された生活に充実を感じる日々

作りかけの潜航板。シビ漁で使われるもので、後ろに糸と針を付け、数枚を船で引く。これ以外にも、深津さんの自宅には漁具がいたるところに。

2年目で現実的な問題に直面している深津さんだが、それでも漁師としての生活は充実している。

「仕事中に何をのんきにと言われるかもしれませんが、暗い海の上で空を見上げたときの星が本当にきれいです。ぼうっと星を眺めている時が、漁師になってよかったと感じる瞬間です。自然相手に仕事をしたいという人にとっては、漁師はとてもやりがいのある仕事だと思います」

「サラリーマンだった経験からすると、会社組織のストレスが溜まるようなことから開放されたという気分です。それに、まだまだ学ぶことはたくさんありますし、師匠や他の漁師など、教えてくれる人もたくさんいます。私くらいの年齢だと、普通のサラリーマンなら新しく覚えることは減ってきますけど、今は毎日が勉強でそれが楽しくて仕方がありません。挑戦してみたい漁もまだまだたくさんあるので、1つずつ学んで自分の漁の幅を広げていければなと思っています。」

氏名 深津利光(ふかつ としみつ)
操業地 長崎県五島市
出身地 東京都
漁師歴 1年強(2007年9月から研修。2008年9月から独立)
漁の種類 引き縄漁、一本釣り漁など
獲れる魚 太刀魚、シビなど
年齢 44歳(2月生まれ)
家族 独身

※この記事は2009年12月に取材したものです。