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新人漁師へのインタビュー

新人漁師へのインタビュー

矢倉 佳典さん

なりたい自分が明確に。
ビジョンを持った迷わない男の姿。

生涯の仕事について考えたとき、"漁師"という選択肢が見えたと話す矢倉佳典さん(32)。考え抜き、"自分の船を持つ"という具体的なビジョンまで定まった。転職を繰り返し人生に迷った矢倉さんは、ついに、夢に向けて踏み出した。研修制度を活用して、確実にそれを手にしようとしている。(※2010年1月時点)

自分は何をやりたいのか? 漁師という選択肢

 今の仕事に悩みや不満を持っていたり、就職や転職で迷っている人は少なくない。ましてや高校や大学を卒業してから10年近く経った30歳前の人たちは、仕事について改めて考えたりする時期でもある。電話機の設置業務から漁師に転職して3年目になる矢倉佳典さんも、かつて仕事について迷走していたひとりだった。

「服飾系の専門学校を卒業して、制服メーカーの営業、印刷工など、いつくか転職を繰り返していました。電話設備会社で働いて3年目、28歳のとき、この仕事を一生続けたいのか自分に問いましたが、迷いは解消されなかったんです。それで仕事を辞めました」

 貯蓄があったので生活はできた。その間、矢倉さんは自分を見つめ直し、「何がやりたいんだ」「どんな仕事なら一生続けられるんだ」と考えたという。そして見えてきたのが、漁師という選択肢だった。

「バイクでよくツーリングに出かけるんですが、海沿いを走っているときに漁港に立ち寄って漁師さんと話をしていたら、漁師という仕事が見えてきたんです。僕は北海道留萌市の出身で、海に近かったから漁師が働く姿は見慣れていました。また、釣りが趣味の祖父の影響で小さなころから釣りが大好きでした。釣り雑誌などで、定年後に漁師をやりたいという話をよく読みますが、かつて自分も漠然とそんなことを考えたこともありました。実際に調べてみると、漁業権を取得する必要があるし、定年後では体力的にも厳しそう。それなら、今からやってみようと思ったんです」

魚の選別作業。この日はスズキとカタクチイワシが多かった

漁師について調べながら、並行して船舶免許を取得。「将来は自分の船を持ち、独立して漁師として生きたい」という目標まで固まった。そしてインターネットで検索していたら、漁業就業支援フェアの存在を知り、2007年6月に都内で開催されたフェアに参加した。

「求人案内といえば普通は職安ですが、それでは本当の意味で仕事の内容が見えません。でもこのフェアは、個人の船主さんも参加していて、生の声が聞けたんです。また県や国が研修制度を設けていたり、いろいろ就職の手段があることも知りました」

参加した日、10前後のブースをまわり、話を聞いた。将来的には独立を考えていたので、「漁協の組合員になっていろいろな漁業を身につけたい」とも考えていた。千葉県庁が実施している短期体験漁業に申し込んだ

怪我に注意しながら1つでも多くのことを学ぶ

汚れた網の交換作業。網が汚れていると魚がかかりにくい

千葉県の体験漁業は県が受け入れ先を探す。申し込みをしてから約1ヵ月後、富浦漁協での体験が決まり、7月に1週間程度の研修に参加。漁業の種類は、仕掛けた網を上げて魚を獲る小型定置網漁だった。

集合は季節により異なるが、午前9時に魚の入札が行われるので、午前7時ごろまでに水揚げをし、魚の選別を終らせなければならない。3月〜9月の水揚げ量の多い時期は午前3時〜4時ごろ出港、冬場は水揚げ量が少ないので、午前5時〜6時ごろ出港するという。矢倉さんの研修のときは、午前3時集合だった。

「実は僕、まったく泳げないんです。船酔いも心配でしたが、落ちたらどうしようと、その方が気になりました(笑)。事前に定置網について調べていたのですが、想像と実際にやるのとでは大違い。体力的にも力はいるし、真夏の暑さも厳しかったです。港に戻ってからは網の掃除や交換をすることもありますが、午前中に解散する日も多かったです。網の交換で、たまたま潮が早くてコンディションが悪く、夕方まで作業がかかった日がありました。終った後、船頭から『ここまで大変なことはめったにないから』と言われ、いちばん大変なことを研修中に経験できたのはよかったと思いました」

船には矢倉さんを含め7人が乗船。研修初日は何もしないで他の人の作業を見ているだけ。翌日からは指導の下、ロープを触らせてもらったり、網を手繰ったりと簡単な作業を手伝った。そしてあっという間に1週間の研修が終わり、国の研修制度を活用して、修行を続けることにした。

「最初の1週間はいわば体験。次の6ヵ月研修は、船頭や乗組員、組合が自分をテストするわけです。不採用にならないためにがんばろうと思いました。そのためには、第一に怪我をしないこと、そして1つでも多くできることを増やしていこうと思いました。また、生活していくうえで、地域に馴染むことも大切です。方言や漁師独特の隠語も、わからないときは素直に聞いて、次からは使うように意識しました」

小型定置網は、漁船のオモテ(前側)とトモ(後ろ側)でタイミングを合わせて網を上げていかなければならない。矢倉さんはトモでロープの調整をしたり、網を引っ掛けるカギを担当。そのうち、ロープを機械で引くローラーも任されるようになった。

「ローラーを巻くタイミングは、何を基準にしているのか、他の人たちのやり方を見て覚えました。実際に担当すると思い通りにいかなくて、ロープが切れて網を落としてしまったこともあります。網が傷んでいると切れやすいんですが、それも最初はわからなかった。また、波によって船が上下しているとき、船が浮いたときに瞬間的に力がかかると切れやすい。そういうことも、だんだん覚えていきました」

獲物を獲る楽しさ、そして仲間との絆

オモテとトモで息を合わせて網を引いていく

 6ヵ月研修が終了し、2008年4月から晴れて本採用となった。そのまま同じ船で現在も仕事を続けている。

「正直、朝早いのはきつかったです。でも、それに慣れるように、夏場の午前3時の集合時間に合わせる生活サイクルを作りました。仕事が終って、午後は天気がよければバイクでツーリングをしたり、釣りを楽しみ、夕方5時には寝るようにしています。たまに友達と飲みに行きますが、夜の9時、10時まで遊んでいると、翌日の集合がきついですね(笑)。もちろん、辞めようかなと思ったことも正直なところありました。研修中の3ヵ月目ぐらい、ちょうど仕事にも慣れ始めたある日、すごく海が時化ていたんです。船がすごく揺れていて、自分は泳げないのに、この先、怪我をしないで続けられるのかとすごく不安になりました。でも、一度決めたことだし、独立という将来の目標もあったので、なんとか踏ん張りました。それを乗り越えてからは、辞めようなんて思わなくなりました」

今では2人の後輩もでき、先輩からも後輩も頼りにされる存在にまで成長した。そんな矢倉さんに漁師の魅力について聞くと――。

「獲物を獲る楽しさ。魚の量が多かったり、単価の高い魚が獲れたときの醍醐味だと思います。船には3トン入るカメが3つあるんですが、2つを超えると大漁です。去年の3月、イナダを10トン水揚げしたこともありました。千葉はアジやイワシ、スズキが多いんですが、ヒラマサやワラサ、メジマグロの高級魚が獲れるときもある。単価の高い魚は、網の中で死んだり、傷が付かないように早めに見つけて捕まえないといけません。それをやるのも楽しみの1つです。

チームワークはいつでも大切

もちろん仲間の存在を実感できるのもいいところです。大げさかもしれませんが、作業によっては命を他人に任せるところもあります。信頼できない人には任せられない。絆みたいなものは自然と深まりますね」

4月から準組合員になり、念願の漁業権を取得できた。 「給料は手取りで20万円弱、年間水揚げ量から算出されるボーナスも12月にもらえます。近々、貯金で船外機船を買い、仕事の合間に漁をしようと思います。将来的には、何でもできる漁師になりたい。だから、チャンスがあれば、早いうちからいろいろな漁をしておきたいんです」
今、仕事で迷走していたころの矢倉さんはいない。そこには、明確なビジョンを持ち、着実に夢に向かって歩んでいる男の姿がある。

氏名 矢倉佳典(やくら よしのり)
操業地 千葉県南房総市
出身地 北海道
漁師歴 2006年9月から研修
漁の種類 定置網漁
獲れる魚 アジ、イワシ、スズキなど
年齢 32歳(6月生まれ)
家族 独身

※この記事は2010年1月に取材したものです。