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研修生の体験談

研修生の体験談

黒﨑 俊介さん

大工から漁師の世界へ。
自然に囲まれた島で漁師であること以上に、
家族ともども島の一員になることを目指す。

「この島に住んでみたい!」そんな気持ちから栃木県での大工生活に終止符を打って、島根県の隠岐諸島、西ノ島に移り住んだ黒﨑俊介さん(25)は、 2010年1月時点で漁業研修生として3ヵ月が経つ。インターネットで見つけた隠岐に魅せられ、島暮らしを始め、最近は漁師の仕事にも少しずつ慣れてきた。本当に何もない島の生活ではあるが、黒﨑さん自身は何の不満も感じていないという。

インターネットで見た隠岐に魅せられて漁師になることを決意

黒﨑さんは、漁師研修生になって3ヵ月が過ぎた。隠岐にやって来るきっかけになったのは、インターネットで偶然見付けた隠岐を紹介するページだった。

「たまたま隠岐のページを見て、島に興味を持つようになりました。幼いころから海や釣りが好きだった訳でもなく、漁師の仕事を強く意識したこともなかったのですが、ただ島に住んで生活していくとなると、漁師しか仕事がないのです。いろいろ調べていたら、JFしまねのページで隠岐の漁師を募集している情報を見つけました」

最初電話で問い合わせて、そのあと何度かやり取りをした。その後、東京で開催された漁業就業支援フェアに参加して、詳しく話を聞くことにした。黒﨑さんは、漁師になりたいというより「隠岐に住んでみたい」という思いが先に立っていたので、フェアでも、隠岐のブースにだけターゲットを絞った。

「漁師の生活について詳しく聞きました。『島には何もないが、それに耐えられるかどうかが重要』と言われ、研修生になる前に一度隠岐で漁師を体験してみたらいいと、勧められました。さっそくフェア翌月に、家族で島の様子を見に行きました。2泊3日で行ったのですが、その時、漁も1度経験させてもらいました。その時の印象は、拘束時間が長く思った以上に大変だなあというものでした」

意外に大変だと知った漁師体験を経ても、隠岐への強い思いは変ることはなかった。4ヵ月後には引っ越し、隠岐での漁師生活が始まった。

組織の中での役割が重視されるまき網漁

「現場で一番優先していることは?」の質問に「海に落ちないこと(笑)」と答える黒﨑さん。

黒﨑さんが従事するのは大中型まき網漁業で、地元の浦郷水産株式会社に社員として所属する。まき網漁は、中心となる網船と、照明の役割の灯船(ひぶね)で構成される船団で操業する。網船には十数人、灯船には2人ずつ乗り、漁場ではそれぞれの役割に従って活動する。そのためどの船に乗って何を担当するかで、仕事内容は大きく異なる。

黒﨑さんは灯船に乗って、先輩の船長と2人で行動している。具体的な黒﨑さんの仕事は、出港前は船の機関周りの点検と水やオイルのチェック、漁場では水中灯の操作が主体である。必死で網を引き揚げるようないわゆる「漁師は力仕事」とは少し違うが、海上では海に落ちないように、常に緊張の連続である。

漁に出ない日は、陸仕事として網のメンテナンスをする。網の修復は容易ではなく、まだ覚えきれていないという。しかし経験を積むことでいずれ解決するだろうと考えている。昼の2時過ぎに起き、夕方4時に港を出て漁に行き、朝の8時に戻って来る昼夜逆転の生活サイクルにもようやく慣れたという。

「漁のない休日は、釣りをするか酒を飲むくらいです。ここには都会と違って遊ぶ場所はありません。周りに住んでいる人たちはほとんどが会社の同僚なので、互いの家で酒を飲んでいます。でも、そういう生活を退屈だとは思いません」

厳しさの中にも愛情を感じる人間関係

浦郷水産の漁師たち。これまで28人が就業研修を経て漁師になった。

隠岐に来る以前は大工だった黒﨑さん。もともと親類が大工で、手伝いからそのまま自然に職業として続けるようになった。大工と漁師、どちらも棟梁や親方を指導者とする徒弟関係の中で仕事を学んでいく世界であるが、黒﨑さんは漁師の方がハードだと感じている。

「大工の仕事は2年ほどでしたが、好き勝手にやらせてもらえたおかげで、それほど大変だという感覚はありません。漁師は、抱いていたイメージと違って現場の空気がとてもピリピリしています。年配の方は厳しく、怒鳴られることもよくあります」

このように、大工時代とのギャップはあるものの、黒﨑さんはこの先一人前になって漁師を続けていける手応えも感じている。

「まだ漁師の仕事すべてを把握できていないので自分自身に余裕がありません。それが理由でハードだと感じる部分もあります。先輩たちは愛情があるからこそ怒ってくれるとありがたく感じています。拘束時間は確かに長いのですが、実際の作業時間は6時間くらいなので、一般的な仕事に比べればむしろ短かいといえるかもしれません。今のところ、一度だけ網のトラブルで丸2日間働き続けたことがありました。いろいろなことが起きますが、でも何と言っても、魚がたくさん網に入っていると、やはり感激します」

島で生活していくための課題は家族の合意

子育てが一段落れば妻の美紀さんの気持ちも変わる?

漁師への道を着実に歩む黒﨑さんだが、大きな課題も抱えている。それは、妻・美紀さんの気持ちである。美紀さんは、言ってみれば半ば強引に連れて来られたのである。実は、黒﨑さんが「隠岐に移り住みたい」と切り出した時、泣いて反対した。今では隠岐の自然に恵まれた環境が気に入ってはいるものの、都市部と比べると生活面での不便さは否めない。買い物で本土まで行かないと手に入らない物があることを不満に思っているのも事実である。また、息子はまだ10ヵ月。黒﨑さんは、漁で家にいない時間が長いので、ほとんど家で一人で面倒を見なければならない。不満を感じる以上に、寂しさを感じているのかもしれない。

黒﨑さんが「生活面では、コンビニがないのがつらいです」と話すように、島には本当に何もない。収入は大工時代と大差ないが、島では日用品の物価は全体的に高めである。生活をやりくりする美紀さんにとってはそれも気になるところだ。

美紀さんは「海での仕事だけに心配だけど、漁師の仕事自体には反対していません。ただ、この先ずっとここで生活していけるかどうかは、何とも言えません。栃木に引き返したいという気持ちもまだ捨てきれてはいません」と、冗談めかして笑いながらいう。

黒﨑さんにとって、漁師の仕事を覚えることと同じかそれ以上に、美紀さんが安心して島で生活できる環境を作ることが目下の課題である。

漁師の素質以上に島の生活になじめるかが重要

浦郷水産の受け入れ担当・西脇さん。黒﨑さんをはじめ多くの研修生を見守ってきた。

「黒﨑さんのように隠岐で漁師になることを希望する人にとって、家族の同意は非常に重要です」と強調するのは、浦郷水産で研修生の受け入れとサポートを担当する西脇辰興さん。西脇さんはこれまで何人もの漁師希望者と接してきた。

受け入れる側としては、漁師として一人前になることはもちろん、隠岐にずっと住み続けてもらうことが最大の願い。漁業就業者の受け入れは、漁師の数を維持するだけでなく、少子高齢化が進む島を活気付けることも大きな目的の一つになっている。島で若い家族が暮らすことは地域にとってとても大きな意味を持つ。

だから西脇さんは、漁師という仕事の適性以前に、島の生活になじめるかが最大ポイントだと考える。

「漁師うんぬんよりも、島で生活していけるかが重要です。まずは就業体験と同時に家族に一度来てもらって、島がどんなところか知ってもらうようにしています。彼女がいるなら、一緒に連れて来てもらいます」

仕事がまき網漁ということもひとつの特徴である。まき網漁は組織的に行う漁のため、まじめに自分の役割をこなせれば何とかなる。逆に、人数が不足すると操業できない。一般的なイメージの漁師より、むしろ会社員に近い。個人の能力以上に人間関係やコミュニケーション能力が求められる職場なのだ。

「漁師といっても今は機械で網を揚げます。昔のような力仕事ではなく、体力的なハードルはそれほど高くありません。手先が器用だとか機械の扱いが得意とかの個人差はありますが、それは担当配置で解消できます。浦郷水産の方針としては、基本的に希望する人は拒まずに受け入れ、実際に漁を体験してもらって、その上で判断します。ただし、家族が一緒に来ることが必須条件です」

家族で隠岐にやってきた黒﨑さんの場合、第一段階はクリアしたといえる。夫婦とも20歳代と若く、島の人間として住み続けることが期待されている。「灯船の船長になることが目標」と話す黒﨑さんは、同時に家族3人で島の一員になることを目指すことになるのだ。

氏名 黒﨑俊介(くろさき しゅんすけ)
操業地 島根県隠岐郡西ノ島町
出身地 栃木県
漁師歴 研修3ヵ月(2009月10月から)
漁の種類 大中型まき網漁
獲れる魚 アジ、サバ、イワシ、スズキ、ヒラメなど
年齢 25歳
家族 妻、子1人

※この記事は2010年1月に取材したものです。